この記事で伝えたいこと
- 「どのAIツールが安全か」は、問いの立て方が違う。問うべきは「自社のどの情報を、誰が、どこへ持ち出せる状態にあるか」。
- 判断に迷う領域は3つしかない。統計・売上分析・競合調査は、迷わず使ってよい。
- ルールが作れないのは、判断ミスではない。個人情報の漏洩には厳しいのに、アクセス権と持ち出しは曖昧。そのちぐはぐさは、多くの会社の標準装備になっている。
- 削除要求が来たとき、どこまで消せるか。プラットフォームが自動で面倒を見る範囲と、自分で追いかけるしかない範囲がある。その線を知らないまま運用している会社が多い。
- 細かくしたルールから、先に死ぬ。禁止項目を増やすことと、境界を引くことは別の作業。
- ただし、AIを無罪にはしない。AIは新しい穴を開けたのではなく、古い穴に削岩機を差し込んだ。
アカウントを共有していた、あの現場から
海外向けのB2Bサイトを構築したときの話から始めます。
問い合わせフォームの窓口は、総務が担当していました。海外からの問い合わせに対応できる人は、その部署にひとりしかいない。だからその担当者が、メールの内容を確認して、返信していました。当然、アカウントは共有です。
業務は回っていました。困っている人はいませんでした。ただ、誰が何を見て、何を返信したのかを、後から証明する手段はなかった。
そこへ「AIを導入したい」という話が来たら、どうなるか。「AIに顧客情報を入れていいか」を議論することになります。でも、その前に決まっていないことがある。そもそも、その顧客情報は誰が見ていいのか。
私が「AIに何を入れていいか分からない」という相談を受けるたびに質問を返すのは、このためです。「では今、その顧客情報は、社内の誰がダウンロードできますか」。
多くの場合、答えは返ってきません。
境界は、AIが来る前から壊れている
情報管理には、はっきりしたちぐはぐさがあります。個人情報の「漏洩」には極めて厳しい。しかし「誰がアクセスでき、誰が持ち出せるか」は驚くほど曖昧です。
現場で繰り返し見てきたのは、次の4つです。
問い合わせCSVは、誰でも落とせる。 Webサイトのコンタクトフォームに入った問い合わせには、氏名、会社、メール、ときに商談内容が含まれます。サイトの編集権限には工夫があるのに、このCSVは総務のアルバイトでもダウンロードでき、コピーもできる状態になっている。
SaaSのアカウントを、複数人で使っている。 ライセンスは1IDいくら、が原則です。それでも実際には、CRMに共通アカウントでログインして、複数の担当者が使っているケースがあります。生成AIも同じで、ログインIDはひとつ、しかし複数の人が複数の場所からログインしている。この状態では、誰が何を入力したかを追えません。
権限が曖昧なまま運用されている。 個人情報のある場所に、誰がアクセスできるのか。ダウンロードやエクスポートは誰ができるのか。この2つが文書になっている中堅企業は、多くありません。
この4つを放置したまま「AIに入れていいか」を議論しても、答えは出ません。AIは新しい穴を開けたのではない。すでに開いていた穴を、見えるようにしただけです。そしてAIは、ルールができるのを待ってはくれません。
消したはずのデータは、どこに残るのか
境界の崩れがはっきり見えるのは、削除要求が来たときです。
私は14年間、40カ国以上を相手にEC事業をやってきました。そのなかで、この構造には何度も向き合っています。
Shopifyには顧客の個人情報、売上データ、配送先住所が集まります。そこに会員ランクを付けるアプリや、レビューを収集するアプリを入れる。すると顧客の個人情報は、そのアプリ側へ流れていきます。便利だから入れる。実際、便利です。
そこへ、欧州在住の顧客から「私のデータを削除してほしい」と要求が来る。
ここで多くの人が誤解します。「アプリに流れたデータも、全部自分で追いかけて消さなければならない」と。実は違います。
Shopifyの公式ヘルプには、マーチャントは自店舗とShopify管理画面からインストールしたアプリやチャネルを含めて、顧客の個人データの消去を要求できると書かれています。そして、その先の一文が本題です。その顧客の個人データを共有した、他の会社に連絡する責任は、事業者側にある。
つまり、境界はここに引かれています。CSVで書き出してCRMに入れた分。請求システムに連携した分。バックアップに複製された分。一度でもプラットフォームの管轄外に出したデータは、自分で追いかけて消すしかない。
危険なのは、便利だから入れたアプリではない。業務の中核だから入れたシステムのほうです。CRM、請求、バックアップ。そこにこそ、誰も消していないデータが残ります。
GDPRの対応は、英国とオランダの弁護士と組んで、10社近くやってきました。欧州の規律は「持っていること」自体に説明を求めます。なぜ持つのか、いつまで持つのか、消せるのか。この問いに答えるには、自社のデータがどこへ流れ、どこに複製されているかの地図が要ります。
そして生成AIは、この地図にとって、新しい出口になります。地図のない会社に、出口だけが増えている。
GDPR対応の現場で学んだのは、規律とは禁止項目の数ではなく、自社のデータの所在を説明できる状態のことだ、という一点でした。どこへ流れ、どこに複製され、消せるのか。この地図を持たない会社に、AIのルールは書けません。逆に言えば、地図さえあれば、ルールは一枚に収まります。
細かくしたルールから、先に死んでいく
ここまで読んで「では厳格なルールを作ろう」と考えた方に、先に失敗例を差し上げます。
よくあるのはこうです。Box、Dropbox、Google Driveで共有ファイルに権限を設定する。しかしダウンロードは可能なままなので、対策として「ExcelとWordは全てパスワード付きにする」というルールを足す。
そして、そのパスワードは使われません。煩雑すぎて、現場が回らないからです。
さらに困るのは、ルールの視野が狭いことです。ファイルの取り扱い、システムからのエクスポート、メールに個人情報や機密情報を載せないこと。ここまでは規定する。その一方で、チャットツールではIDとパスワードを含む機密情報が、平文で共有されている。メールは禁止したが、チャットは想定していなかった。
これが「細かくしすぎて死ぬルール」の中身です。禁止項目を増やすことと、境界を引くことは、別の作業です。禁止項目は現場の抜け道を増やすだけで、抜け道は必ず、規定されていない経路に出ます。
- 共有ドライブの権限設定
- 全ファイルのパスワード保護(実際には使われない)
- システムからのエクスポート手順
- メールに個人情報・機密情報を載せない
- チャットでのID・パスワードの平文共有
- 問い合わせCSVのダウンロード権限
- SaaSのアカウント共有
- 連携先への自動同期
- バックアップに残る削除済みデータ
- 個人アカウントでのAI利用
ただし、AIを無罪にはしない
ここまで「AIは既存の穴を見えるようにしただけだ」と書いてきました。ただ、これを言い切ると嘘になります。正直に、2つだけ認めておきます。
ひとつ。AIは「探しにくさ」という防壁を壊しました。 権限設定が甘くて機密ファイルが全社に共有されていても、これまでは何百万というフォルダの中から目的の文書を人手で探し出す必要がありました。探すのに手間がかかること自体が、結果として防壁になっていた。生成AIの全社検索は、それをプロンプト一行の要約に変えます。穴の大きさは同じでも、そこから何が出ていくかが変わりました。
もうひとつ。AIの出力には、機密の印が付きません。 機密指定されたファイルをAIが読み、要約して新しい文書を作ると、元のファイルの機密属性は引き継がれない。丸裸のテキストとして、社内チャットにも外部にも流れていきます。これはAIが新しく開けた穴です。
穴が本質であることは変わりません。ただ「だからAIは無罪」でもない。この両方を認めたうえでしか、正しいルールは書けないと思っています。
AIは新しい穴を開けたのではない。古い穴に、削岩機を差し込んだのだ。
迷う領域は、3つしかない
ここまで境界の話をしてきました。では実際に、何をAIに入れてよくて、何がダメなのか。
先に言っておくと、本当に判断が難しい領域は、それほど広くありません。
迷わず入れてよいものがあります。統計データ、自社の売上データの分析、業界・競合のリサーチ。顧客の個人情報が含まれない限り、生成AIに渡して問題ない。ここを止めている会社は、機会損失を払っているだけです。
判断が割れるのは、周辺にある3つです。
自社の営業手法・マーケティング手法。 これは機密になり得ます。競合が知れば模倣できる、自社の勝ち筋そのものだからです。一方で、営業戦略をAIに壁打ちさせる価値は大きい。
LinkedInのコネクション情報。 本人が自ら公開しているプロフィールであり、個人情報の管理対象とは性質が違う。ただし、そこに営業上の意図が乗った瞬間、性格が変わります。
広告運用データ。 Google広告の運用データやサイト解析データに、個人が特定される情報は基本的に含まれません。ただ、そこから何を読み取り、どう戦略に変えるかは、自社の競争情報です。
この3つが分かっていれば、ルールはA4一枚に収まります。
| 分類 | AIへの入力 | 具体例 |
|---|---|---|
| 機密 | 入力しない | 顧客の個人情報、財務データ、人事情報 |
| 社外秘 | 法人契約ツールのみ・要判断 | 自社の営業手法、見積・原価、未公開の戦略 |
| 社内限り/公開可 | 自由に使ってよい | 統計データ、売上分析、競合リサーチ、公開情報 |
1. 情報の4分類を、自社の言葉で定義する。 機密/社外秘/社内限り/公開可。ひな形の丸写しではなく、自社の実物に即して書く。
2. 分類 × AI利用の対応表。 統計・売上分析・競合調査が「自由」の側にあることを、はっきり書いておく。
3. 迷ったときの逃げ道。 判断に迷ったら、誰に聞くか。ひとりに決める。逃げ道のないルールは、隠れて破られます。
4. 例外の承認ルート。 どうしても必要な場合の手続き。例外を認めるなら、必ず人の承認を通す。
5. 責任者と、次回見直し日。 ルールは生き物です。
そして、この一枚を書く前に、必ずやることがあります。
AIのルールより先に、棚卸しをする
AIガバナンスの第一歩は、AIのルールを作ることではありません。アクセス権と持ち出し経路の棚卸しです。
次の4問に答えられない状態で書いたAIルールは、意味を持ちません。
この4問は、AIとは何の関係もありません。だからこそ本質的です。AIに渡してよい情報の線は、社内の統制の線と同じ場所に引かれます。統制の線が引けていない会社は、AIの線も引けない。逆に言えば、この棚卸しをやり切った会社は、AIのルールを一枚で書けます。
- 顧客の個人情報が入っている場所を、全て挙げられるか(CRM、問い合わせフォーム、EC、連携アプリ、共有ドライブ、チャット、バックアップ)
- それぞれ、誰がアクセスでき、誰がエクスポートできるか
- SaaSのアカウントは、ひとりにひとつになっているか
- 削除要求が来たとき、プラットフォームが自動で消す範囲と、自分で追いかける範囲を区別できるか
境界を引くのは、任せられる範囲を広げるため
最後に、この一枚ルールの意味を書いておきます。
ルールを作ること自体が目的ではありません。この一枚を、外部のひな形の丸写しではなく、自社の言葉で書けるかどうか。そこで分かります。判断の基準が社内にあるか。品質の基準が社内にあるか。データのコントロールが社内にあるか。
外注もAIも、コントロールが社内にあれば有効な手足になります。境界を引くのは、AIを縛るためではない。安心して任せられる範囲を、広げるためです。
Japan Consultingは、AIガバナンス診断を通じて「AIのルール作り」ではなく「アクセス権と持ち出し経路の現状把握」から支援します。ひな形を渡すのではなく、自社の言葉で一枚を書ける状態、判断が社内に残る状態への移行を伴走します。
この記事に関するFAQ
本記事は、筆者の海外向けB2Bサイト構築、14年・40カ国以上にわたる越境EC運用、英国・オランダの弁護士と組んだGDPR対応(10社近く)、および中堅B2B企業へのCRM・AI導入支援の実務経験をもとに構成しています。生成AIの業務利用に関する数値は、Microsoft & LinkedIn "2024 Work Trend Index Annual Report"(2024年5月)を参照。ナレッジワーカーの生成AI利用率75%、AI利用者のうち自分のAIツールを持ち込む割合78%(中小企業では80%)。調査はEdelman Data & Intelligenceが31市場・31,000人のナレッジワーカーを対象に2024年2〜3月に実施。ECプラットフォームにおける顧客データの消去責任に関する記述は、Shopifyヘルプセンター「Processing customer data requests」の記載に基づきます。仕様は変更される可能性があるため、実務にあたっては最新の公式情報を確認してください。解釈・考察は筆者による。

